考えつくままの

美しい嘘をつき続けたい

教職ハイと現社と

教職の中間レポートが終わった。詳しくは「進路指導・生徒指導」という授業の中間レポートである。青年期の発達課題やら自我同一性やらの知識を活用し、さまざまな生徒の状況を想定して指導案を考えよう!みたいなことをやっている。つい半年前まで指導を受けていた側の人間に言われても...と思っていたが、なんだかんだやってみると楽しい。いつもの教職の講義も行くまでは絶望の底みたいな心持ちでいるが、実際の講義や講義が終わった後は謎の楽しさがある。教職ハイである。

さっきまでエリクソンの発達段階について余分に調べてウッヒョー!たのしー!ブログに書こう!となっていたのだが、なんかどんどん書いていくうちに何が楽しかったのかわからなくなってきた。ハイの終焉である。第一段落までは楽しかった。今は楽しくない。結局、わかったのは、どうやら今現在の私の悩みや問題が青年期の前にあった発達課題を乗り越えられなかったことに起因しているっぽいということだけである。なんか悲しい。

教職の講義はなんだか高校の現社に似ている。私の高校は学習指導要領フル無視の学校で現社の教科書が二十ページくらいしか進まず、そのまま卒業したので本当に似ているのかどうかはわからない。しかしこの教科書冒頭二十ページのあたりがちょうどエリクソンやらマズローやらの部分だったので勝手にそう思っている。二十ページしかやってない分際だが、私は現社が好きだ。うろ覚えだが生命倫理とかすごい好きだった。人間のクローンとか作って全人類でその罪を背負い、そいつの人生をトゥルーマン・ショーみたいな感じで観察してみたいとか思っていた。現社、地歴より好きかもしれない。気付くのが遅い。関係ないけど現在の高校の現社は公共という科目に変わったそうだ。弟や後輩がナチュラルに「公共の先生が〜」と言っているのを聞いて、時代だあ、と思った。

寝ねば。