考えつくままの

美しい嘘をつき続けたい

ゼミ発表

後期。ついにフレセミでゼミ発表をしよう!のコーナーが始まって、その準備に忙殺される日々。実際は何もしていないのだけれど、何もしていないという事実が私の精神の重荷になりそれを毎日背負って遊んで暮らすのに忙しい。背筋がムキムキになってしまう。

先生から出されたお題は「移動」。この先生は移民について研究している。自分の研究テーマに寄せてよくわからんお題出しやがって...と思った。

私のグループが設定したテーマは「屋取集落が地域に与えた影響を文化面、言語面から考える」である。屋取集落とは仕事にあぶれた首里士族が地方に移住してできた集落のことである。前期の沖縄史の授業でポーンと一回出てきたぐらいの単語だが、これが結構奥深くておもしろい。ちょっと内容の整理がてらに語りたいと思う。

屋取集落には従属型、共存型、独立型の三つがある。前提として、屋取集落に住む士族はプライドが高く、何かあればすぐに首里に戻りたいと思っているので移住先の住民と馴れ合うことがあまりなかった。従属型はプライドの高さゆえに周囲から孤立してしまい、大きく発展することができなかった屋取集落である。沖縄には結構な数の屋取集落があるがほとんどが従属型に分類される。共存型は移住先の村があまりに貧しく、働き手が必要だったため、移住先の住民から歓迎され士族と住人が共存しているものである。これは珍しいタイプで事例が2集落しかない。独立型は屋取集落が移住先の村よりも発展してしまった例である。北谷、宜野座がこれに分類され、特に北谷は士族の人口比率が49%にもなる。

私が特に着目しているのが私の故郷にある屋取集落である。この集落は世にも珍しい共存型に分類される屋取集落である。ゼミ発表が始まる前、私はたまたまこの集落の豊年祭を見に行っていた。この豊年祭を思い返すと、演目や衣装、演者がこの集落の歴史的背景や住人の人柄、屋取集落の影響を色濃く受けていたことに気づいた。

まず、どこの豊年祭も演者は大体その集落の人で構成されているのだが、この集落の豊年祭のでは他の市町村出身者や、本土からの移住者をバンバン採用している。私の字の豊年祭も今年あったのだが、他の土地の出身者をちょい役で使うことはあっても、重要な踊りの演者なんかはその土地の出身者で占められていた。しかしこの集落は豊年祭でこの踊りが一番重要!みたいな踊りに移住者を移住者の方に踊らせていて驚いた。おそらくこの集落の住人の人柄は外部の人にとても寛容な性質を持っているのだろう。それはずっと昔に首里士族を受け入れた時と変わらないのだろう。

また、この集落は明治時代あたりから行われた日本の同化政策が他の字と比べて成功した集落であった。そのため豊年祭の演目に日本語で歌われているものがあって非常に驚いた。また舞踊で使われている扇に日の丸が描かれていたり、最後に演者全員が日の丸を振って舞台を練り歩いていたり、とにかく演目に他の豊年祭にはない「日本らしさ」を感じた。自分的にはこれにも屋取が関係していると思っている。士族というのは武士なので日本の心!武士の魂!武士道!みたいなのに憧れがあり、そのため日本の同化政策にも染まりやすかったのではないかと思う。

以上、薄い考察!!!!!

 

ゼミ発表、うまくいくといいなあ。他のグループの発表が頓挫して相対的にうちのグループの評価が上がる感じになってほしい(カスの思考)